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父危篤。

家族のこと。

先月の半ばごろ、家族からの連絡で父の癌が発覚。

肺癌ということ。

でもそれを聞いても「やっぱりね」と納得しかない。

だってタバコ吸い続けてたし。

昔から家族が何を言っても聞かない人だった。

自分の好きなようにしてきたし。

みんな今更何を言っても仕方ないことはわかってるのでもう注意することも無い。

やっぱり百害あって一利なしって本当だ。

モヤモヤな思い。碌でもない人生。

父とは随分疎遠だった。

私は昔から父親が好きではなかった。

自分勝手に生きて家族を不幸にする人。

自営業も失敗。おかげで実家もなくなった。

私は大学から実家を出てるのであまりよく知らなかった。

いつの間にか実家がなくなってたし。

両親は弟の住む家に暮らし始めた。その時は我が家も子どもたちを連れて遊びに行ったりした。うちの娘たちと弟の娘たちも歳が近かったし。

しかし母親が脳梗塞で倒れたり、足も悪く杖をついて歩くようになったり・・・と色々あったからか?弟とその嫁に邪魔者扱いされたのか?・・・・家を追い出されて近くの県営住宅に引越し。その時私が「こっちにおいで」って呼んだものの・・・年寄りはなかなか動かない。それでも息子に面倒見てもらう気だったのだろ。

私は母親のことは心配していたけど・・・自分勝手な父親や、一生息子(弟)の世話になるために何も出来ない・・・という母のスタンスが気に入らなかった。

今時こどもの世話になろうなんて親として恥ずかしく無いんだろうか?とも思った。

でもそれくらい何も出来ない母親。追い出されたのに孫たち(弟のこども)の世話をさせられてヘラヘラしてるのも見てられない。

弟たちともその辺のことで大喧嘩になった。口出しすんな?で?なんで私が責められんの?って感じで。長女の主張は打ち消された。あんな気分の悪い思いするくらいなら・・・と関わるのを辞めた。その時から両親や弟たちとは会わないように過ごしてきた。

2月頃に長女が「じいじとばぁばの顔が見たい」とひとりで両親のもとに訪れる。大歓迎されて弟の家でも一泊して帰ってきた。

その時の父親はお腹もぽってりなくらい元気だったらしい。

その後、体の異変に気づき癌が見つかったとか。

見つかった時にはもう遅し。末期の癌。

病院嫌いだったのでもちろん健康診断なんてしてない。そんなことある?って呆れる。起こるべくして起こったことやん。

私は疎遠だったこともあり・・・正直「仕方ないよね」としか思えない。

家族を、特に母を想うなら健康診断くらいしとけよ。

と怒りすら湧いてくる。

命は儚い。あっという間に崩れる身体。

病院から電話が来た。

緩和病棟に移って酸素マスクの寝たきり状態とか。

片方の肺には水が溜まり酸素が取り込めないらしい。

癌の告知からこんなにも早い病状の進行。人ってなんて脆いのか。

なのでもう近々・・・ちょっとでも早いうちに。。。と言われたので仕事終わりにこどもたちを連れて車で向かった。しかもよりによってものすごい雷雨の中!2時間ほど高速を走る。

病院に着いて病室に入り父の姿を見て唖然とする。

痩せ細って、口を開けたまま酸素吸入・・・目は瞑ったまま。

呼吸がしにくいのか胸部が激しく上下する。

随分な様変わり。10年近く見てなかったけど・・・こんな弱った父親を見ても何とも言い難い。

先生が父の耳元で大きな声で「〇〇さんと〇〇さんと〇〇さんが来てくれたよ!」と言った後、私たちに「耳は聞こえてるので話しかけてください」と言った。とりあえず「おじい!」と呼んでみる。こどもたちは隣で自分たちの現状を話したり。

目も開けることもないし話せるはずもないのだけど。

私も今更話すことも思いつかず・・・でももうこれでお別れなんだという確信だけ。

私は主治医の先生に説明を受け、子どもたちも父親の側でおしゃべりして1時間ほど過ごした。もう次は無いんだろうな・・と思ったものの「またね」と言ってお別れして病院を出た。

何だか複雑な気分。

私も歳を取ったんだな。こういう時期がきた。

でも母親の方が80歳超えてるのに75歳の父親の方が先にこんなことになるんだね。人は生き方によってこんなに寿命が変わるのか?

私の周りの70代の人たちはまだまだ元気に働いてたり、テニスまでしてる人もいるんだけどな。

私もそんな元気な生き方できるかな・・・子どもたちには迷惑かけない最後がいいな。

 

そして父の危篤状態はまだ続く・・・

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